堤防という構造物を知ろう(その1)
日本の河川の堤防のほとんどは、その河川に堆積した土砂で作られています。 稲作の始まりが、堤防の起源といっても間違いはなさそうです。
もう自然地形の一部となって、人々の関心は薄れていますが、いったん洪水で破堤すると、被害の大きさでその存在に気付かされます。
そんな堤防は、いつ、どんな材料で、どんな施工法で作られたかは、ほとんど知られていません。
歴史上に堤防の記述が初めて登場するのは、『日本書紀』仁徳天皇11年10月の記事に、「天皇は、北の河の澇(こみ)を防がむとして茨田堤を築く(天皇は洪水や高潮を防ぐことを目的として、淀川に茨田堤を築いた)」との記述(wikipedhiaから引用)があるのが最初です。
これらの堤防をどのようにして作ったかは、私なりに容易に想像できます。
人工的な構造物が作られていない時代、川岸には水に強い柳や竹藪が生えていたことでしょう。そこには洪水のたびに土砂や泥、ごみが堆積し、次第に小高く連続して小高い「自然堤防」が形成されていったことは容易に想像できます。 茨田(まんだ)の堤もこのような自然地形を利用して、周りの土砂を人が鍬で掻き揚げ、もっこで運んだことでしょう。
この方法はその規模はともかく、近代まで堤防を作る方法は進化していません。 土砂を遠くに運ぶ方法は、江戸時代は船で、明治にはようやく一部の直轄事業で掘削機械と小規模な機関車とトロッコが使えるようになり、パワーショベルとダンプトラックがふんだんに使えるようになったのは昭和35年ごろから始まった高度経済成長じだいからでした。
私たちが目にする堤防の原型は、土の運搬距離が短い前面の土砂を利用した「掻き揚げ堤防」なのです。