昭和、平成時代の河川管理現場で体験したこと

見聞きしたこと、考えたこと、出来なかったことを伝えたい

軟弱地盤上の樋門函渠の設計法に出会った頃

  30歳の頃でしょうか、渡川工事事務所の係長に赴任しました。四万十川は今では有名ですが、当時は文字どうりの陸の孤島建設省四国地方建設局のある高松市から東京と事務所とはどちらが早くたどり着くかといえば、東京が早かった。汽車も途中の土佐佐賀までで後はつづら折りの酷道でした。

 

 

 

 

 

 

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