昭和、平成時代の河川管理現場で体験したこと

見聞きしたこと、考えたこと、出来なかったことを伝えたい

私がこのブログを書く理由

 1939年生まれ,81歳の元河川土木技術者です。

 思えば、高度経済成長期以前の昭和33年(1958年)に高校を卒業し、当時の建設省中国四国地方建設局に初級職として採用されて以来、72歳までの64年間の長きにわたり「河川土木」に携わってきました。

 この間、上司、先輩、仲間、地域の皆様から多くの教えを受け、貴重な現場を目撃し、あるいは考え、失敗もし、今となっては恥ずかしいことも少なからず経験しました。

 数年前に仕事を離れて。ようやく現役時代には興味があっても出来なかったことなどに接するなど、自分の歩んだ過去を顧る余裕ができました。 そんな中で、私の体験したことは本来河川技術者が知っておくべき事柄のほんの一部にしか知らなかったことを改めて認識している昨今です。

  

 いま、現役は大変です。本来の技術の仕事に加えて、マスコミ対応など公報のウエイトが多くなり、温暖化の影響は日ごと顕著になっています。

 そこで今、私に何ができるかを考えました。 河川土木も多くの技術と同じく、歴史の積み重ねです。 過去にどのような経緯で仕事をしてきたのかをすることは必須の情報です。

 その情報は次世代にうまく引き継げていないという、私の自覚があります。土木の仕事の多くは、後世に肉声が伝わりにくいのです、多くの先人が体験し、成功し、失敗し、考えても実現しなかったことは多いと思いますが、それが伝わらなければ出来上がった施設や仕組みをただ確認できるだけです。

そんな思いで、この記事を書いています。

 

 

私は高度経済成長が始まる少し前の昭和33年(1958年)に工業高校土木科を卒業後、国家公務員初級資格で建設省(現在の国土交通省四国地方建設局に採用され、いわゆるノンキャリアと呼ばれる河川技術者として72歳まで河川の管理に携わっていました。

 もともとは四国地方内での勤務範囲でしたが、その後36歳に転機があって、建設省本省、関東地方整備局北陸地方整備局、退職後は財団法人河川情報センター、リバーフロント整備センターと、全国の河川の行政の実態、研究の状況や水害、堤防決壊などの現場を見る機会に恵まれました。

 私が勤務した58年の期間は、高度経済成長の始まりから終焉までを見たことになります。 この間に起きた全国の河川とその流域が激変した有様は、残念ながら今の社会には伝わっていません。 歴史の風化の激しさは、どんな分野であれ著しいものがあります。

 現在では、高度経済成長期の大型事業投資時代を終えて、これからは作り終えた施設の維持管理が中心になります。 また老朽化した施設は、より合理的な方法を見つけて、時代の要請にこたえたリニューアルも始まります。施設は劣化するのです。

 また気象や社会の変化に合わせて、温暖化などにも備える必要もあります。ソフトとしての管理の仕組みも、科学の進展の即応した新しい取り組みが必要となると考えます。

 河川の管理には多くの立場の違う担当者が携わっています。そんな中で私の見た情報はほんの一部ですが、それを承知の上で、知り得た情報を今後を担う若い技術者、研究者に伝える責任があるとおもいたち、このブログを書き進めます。

 ご意見や私が認識していない情報などをお寄せいただければ幸いです。