昭和、平成時代の河川管理現場で体験したこと

見聞きしたこと、考えたこと、出来なかったことを伝えたい

劣化した堤防を見分ける

 

1、 地震で 堤天に亀裂が発生した四万十川堤防

 堤防が劣化す ることは、あまり知られていません。その為もあってか、劣化を見据えた機能回復プログラムは現在設けられていません。 堤防の中を断ち割って、断面を確認する機会は少ないものですが、私は2度の経験があります。

 一度目は渡川 (現在の四万十川)に勤務していた1968年(昭和43年)日向灘地震(M7. 5)が発生した際の出来事です。 渡川は震源地と近かったので今の震度で云うと震度4程度でしたが。現場出張所から堤防天端に亀裂が起きていると知らせがあり、新米の 係長だった私は、事務所長に指導を仰ぎました。 武藤徳一所長は本省の防災課出身で、この種の対応方針を熟知されておりました。 まず亀裂が 起きた部分に石灰液を入れる、その理由は亀裂が時間とともに塞がれて、亀裂の痕跡が分からなくなるからというものでした。 次にはその箇所を掘り返し て、亀裂の長さと深さを確認すること、この状況は直轄災害の申請要件に該当することなどを教わりました。

 さて、災害申 請が認められて復旧することになって、ブルドーザーで掘削しようとしたところ、なんと堤体がぬかるみ状態になっていて湿地ブルドーザーを投入する羽目に なりました。 本川と支川後川堤防であわせて数カ所の亀裂箇所のすべてがこのような状態でした。 このときには私も知識が浅く、深く追求することを怠たりましたが、昔を知る人の話では、これらの場所は昔、池や深掘れがあって、築堤の際に堤防施工位置をずらすなど対応に苦労した場所であったことを知りました。 

 復旧工法は、亀裂部分は土を置き換え、締め固めました。  亀裂が生じた箇所の土質はシルト混じりの砂で、運搬が容易な 堤防前面の土砂を利用したものでした。

 

 2、法面が崩壊した庄内川堤防

庄内川矢田川左岸の福徳町(名古屋市市街地側)で、1990 年(平成2年)9月18日、洪水でもないのに突然堤防の裏法が崩壊し、堤防に接していた民家に崩壊した土砂が流れ込んだ出来事を紹介します。 堤防天端は今も道路として利用されている堤防上を道路が走っている場所でした。  
当時私は治水課の課長補佐、庄内川工事事務所長だった関克己さんから電話があり、原因究明をしたいとの連絡があり、土木研究所の久楽勝行土質研究室長にお願いして現地に向 かった。久楽室長は堤防の安全性についてのご研究を続けられていて、私たちがいつも頼みにさせていただいていた研究者であられた。

久楽土質研究室長の調査結果は意外なものでした。 堤防土質は庄内川が運んできた土で出来たシルト交じり砂であったが、堤防天端の轍堀れに亀裂が出来て、 ここへ雨水が集まり、ちょうど漏斗状になって堤防内部に永年、浸透していた。 この土質は砂成分が水を通し、シルト成分が侵入してきた水を抱き貯めたもので、 均衡が破れて崩壊に至ったものと判明した。 堤防地盤も難透水性であったことも、この現象に寄与したものであったらしい。


 3、2件の事例から見た、劣化した堤防の類似性   

2件の事例から、私は雨水が浸透しやすい砂と、水分を補足しやすいシルトとの組み合わせの土質が堤防劣化に寄与したと考えました。 堤体土 質、地盤の履歴(堤防設置以前の地形など)と土質、雨水が浸透する条件などは少なくとも、劣化する堤防、劣化しない堤防の判断材料になるものと考えるので、これらのデータが蓄積し、検索できる体制が作られれば、少なくとも、注意する堤防が特定できるのではないかと考えたのです。 このデータ化はまだ未完成です。私はこのシステムの構築を完成できないまま退職になってしまいました。

 この種のデータベースを構築、運営するのは、息の長い取り組みが必要です。問題への理解が広がることがまず必要です。

 私は力不足で完成できませんでしたが、今後の技術者、研究者の出現を期待しています。。 
                    

 1、 地震で 堤天に亀裂が発生した四万十川堤防

 堤防が劣化す ることは、あまり知られていません。その為もあってか、劣化を見据えた機能回復プログラムは現在設けられていません。 堤防の中を断ち割って、断面を確認する機会は少ないものですが、私は2度の経験があります。

 一度目は渡川 (現在の四万十川)に勤務していた1968年(昭和43年)日向灘地震(M7. 5)が発生した際の出来事です。 渡川は震源地と近かったので今の震度で云うと震度4程度でしたが。現場出張所から堤防天端に亀裂が起きていると知らせがあり、新米の 係長だった私は、事務所長に指導を仰ぎました。 武藤徳一所長は本省の防災課出身で、この種の対応方針を熟知されておりました。 まず亀裂が 起きた部分に石灰液を入れる、その理由は亀裂が時間とともに塞がれて、亀裂の痕跡が分からなくなるからというものでした。 次にはその箇所を掘り返し て、亀裂の長さと深さを確認すること、この状況は直轄災害の申請要件に該当することなどを教わりました。

 さて、災害申 請が認められて復旧することになって、ブルドーザーで掘削しようとしたところ、なんと堤体がぬかるみ状態になっていて湿地ブルドーザーを投入する羽目に なりました。 本川と支川後川堤防であわせて数カ所の亀裂箇所のすべてがこのような状態でした。 このときには私も知識が浅く、深く追求することを怠たりましたが、昔を知る人の話では、これらの場所は昔、池や深掘れがあって、築堤の際に堤防施工位置をずらすなど対応に苦労した場所であったことを知りました。 

 復旧工法は、亀裂部分は土を置き換え、締め固めました。  亀裂が生じた箇所の土質はシルト混じりの砂で、運搬が容易な 堤防前面の土砂を利用したものでした。

 

 2、法面が崩壊した庄内川堤防

庄内川矢田川左岸の福徳町(名古屋市市街地側)で、1990 年(平成2年)9月18日、洪水でもないのに突然堤防の裏法が崩壊し、堤防に接していた民家に崩壊した土砂が流れ込んだ出来事を紹介します。 堤防天端は今も道路として利用されている堤防上を道路が走っている場所でした。  

当時私は治水課の課長補佐、庄内川工事事務所長だった関克己さんから電話があり、原因究明をしたいとの連絡があり、土木研究所の久楽勝行土質研究室長にお願いして現地に向 かった。久楽室長は堤防の安全性についてのご研究を続けられていて、私たちがいつも頼みにさせていただいていた研究者であられた。

久楽土質研究室長の調査結果は意外なものでした。 堤防土質は庄内川が運んできた土で出来たシルト交じり砂であったが、堤防天端の轍堀れに亀裂が出来て、 ここへ雨水が集まり、ちょうど漏斗状になって堤防内部に永年、浸透していた。 この土質は砂成分が水を通し、シルト成分が侵入してきた水を抱き貯めたもので、 均衡が破れて崩壊に至ったものと判明した。 堤防地盤も難透水性であったことも、この現象に寄与したものであったらしい。


 3、2件の事例から見た、劣化した堤防の類似性   

2件の事例から、私は雨水が浸透しやすい砂と、水分を補足しやすいシルトとの組み合わせの土質が堤防劣化に寄与したと考えました。 堤体土 質、地盤の履歴(堤防設置以前の地形など)と土質、雨水が浸透する条件などは少なくとも、劣化する堤防、劣化しない堤防の判断材料になるものと考えるので、これらのデータが蓄積し、検索できる体制が作られれば、少なくとも、注意する堤防が特定できるのではないかと考えたのです。 このデータ化はまだ未完成です。私はこのシステムの構築を完成できないまま退職になってしまいました。

 この種のデータベースを構築、運営するのは、息の長い取り組みが必要です。問題への理解が広がることがまず必要です。

 私は力不足で完成できないままになっていますが、今後の技術者、研究者の出現を期待して、このリポートを書いています。